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FutureInsight.info

AI、ビッグデータ、ライフサイエンス、テクノロジービッグプレイヤーの動向、これからの働き方などの「未来」に注目して考察するブログです。

信頼できる基準についてもう少し考えてみた 2

前回の続きとなりますが、殊能将之氏のサイトより、信用できる、信頼できる人の基準をcase studyで考えてみる。

3,6月前半の日記より


アテネオリンピックに間に合わなかった場合、長嶋茂雄が指名して3人のコーチのひとりが采配をふるうという案があるとか。ということは、大野豊かぁ……だいじょうぶかね。いや、いくらなんでも中畑清と高木豊は論外でしょう。

 数年前、まだ佐々木主浩がメジャーに行く前、フジテレビが中継したジャイアンツ×ベイスターズ戦で高木豊の解説を聞いたことがある。確か1点差か2点差でベイスターズが勝っていた7回か8回に、高木はこう言った。
「このままでは最終回に佐々木が出てくる。だから、ジャイアンツ側としては、わざと4点差か5点差をつけて、佐々木を出せない展開にするという作戦もある」
 申しわけないが、「こいつバカか」と思ったね。わざと点を取らせるなんて作戦があるかっ! そんなのはスポーツ選手の生理に反した、頭でっかちのたわごとだ。仮にも元プロ野球選手が提案することじゃない。
 以来、わたしは高木豊をまったく信用していない。中畑は選手時代からバカであることは明らかなので、解説の正否を問うまでもない。

これは、、、バカですね。つまり、ある状況を回避するために、さらに最悪な状況にすることで、その状況を避けようとしているわけですが、相手チーム側の選択として、佐々木の登板という選択は消えないわけで、こういう発言をしたら、もう根本的にバカということになり、その後は何も信用できないのは目に見えてますな。

4,7月前半の日記より

楳図かずお・岡崎乾二郎の対談めあてに「ユリイカ」2004年7月号を購入。喫茶店でアイスオレンジティーを飲みながら読み、楳図かずおの偉大さを再認識した。冗談ではなく、すばらしい思想家だと思う。特に楳図かずお信者ではないわたしが言うんだから、信用しなさい。

なんかこれも変な例だな。自分を信用しなさいという時に、自分は信者ではないと客観的に言ってるのか。
かなりマイナーではあるが、殊能将之氏の言うとおり楳図かずお信者は多い。それも熱烈な。楳図かずお信者は彼の作品は、傑作も多いが、それ並に駄作もあり、そのような駄作も含めて、楳図かずお氏の作品を愛しているようだ。(実際、おれの周りにも何人かいるし。)しかし、そういう何でもかんでもという状況にはないにせよ、楳図かずお氏を評価していることを述べているわけね。まぁ、これは、参考ということで。

5,8月前半の日記より

 CDショップでついデイヴィッド・リー・ロスのベスト盤を買ってしまう。「シャイボーイ」と「カリフォルニア・ガールズ」を聴きたくなったので。

 わたしの友人にヘヴィメタファンがいて、昔「ジューダス・プリーストはいかにすごいか」といった話をよくしてくれた。
「ナチみたいなレザーの衣装着て、ステージの上でバイクを鞭でしばくんですよ。すごいでしょう」
 確かにある意味すごい。
 その友人に「ビリー・シーンはすごい! とにかく『シャイボーイ』を聴け!」と強くすすめられて、聴いたのが最初。たぶん20年ぶりに再聴したが、やはりすさまじい。スティーヴ・ヴァイとビリー・シーンの名人芸対決。テクノ魂を持つわたしは、こういうヴィルチュオーゾが好きではないのだけど、ここまでくると感動する。

「カリフォルニア・ガールズ」は、ビキニのパツキン巨乳ねえちゃんいっぱいのPVも含めて、いっさい勘違いしていないカバー。「カリフォルニア・ガールズ」ってこういう曲だもん。『ペット・サウンズ』や『スマイル』だけほめたたえるビーチ・ボーイズ好きは信用できねえ。

うう、音楽のことはよくわからん。何の話題なのかもわからないなー。


5,9月後半の日記より


「サンデープロジェクト」(9/19放送)で、「パリーグ6球団になれば新規参入球団以外も黒字転嫁するのか」と訊かれた坂井保之がこう答えていた。
「野球は文化なのだから、べつにすぐに黒字にならなくてもいい」
 この発言だけで、わたしはこの人を信用するね。

 たとえば、よく知らないけど、将棋は決してビジネスとして儲かるもんじゃないと思う。新聞に棋戦の経緯が毎日載るからといって、何万部も部数がのびるってことはないだろう。もしそれほど儲かるものなら、地上波テレビ局が中継するはずだ。にもかかわらず、新聞各紙が棋戦のスポンサーとなっているのは、将棋が文化だからだろう。
 逆にいうと、ライブドアや楽天などのベンチャー企業がプロ野球に新規参入したがるのは、野球にはまだビジネスチャンスがあると考えているからにちがいない。その点が旧オーナーどもはいやなんだろうなあ。「オレたちにはわからない手段で儲けさせるのはいや」って感じか。

実は、おれが信用できる、信頼できる人という概念を最初に考えたのは、この文を読んでからでした。つまり、信用できる人のもっとも重要な基準というのは結局、その人がどれだけ本質的にその物事の事象をとらえているか、なのではないかと。
その後、いろいろこういうパターンもあるのではないかと思ってまとめたわけだが、当該分野において信用できる、できないを語るとき、その人は自分の専門分野をどのようにとらえているかということが、結局その人の本質をみる大きな尺度なのだと思う。つまり、俺に当てはめれば、科学というものをどのようにとらえているか、ソフトウエアというものをどのようにとらえているかという事になる。この部分をしっかり意識する必要はあるだろう。そして、この自分の分野をしっかりとらえてない、そこになんらかの意図が存在した場合、人はその人を信用できないと判断するのではないだろうか。

以前、痴漢をした植草早稲田大学教授がいる。そして、以前の彼の経済に対しての意見を評価するとき、二つの解釈がありえると思う。
彼の経済に対する思考と、彼の性的な指向は全く別問題ではないかとする解釈と、自分の性欲さえコントロールできないものの意見など、もはや聴く必要はないという解釈だ。まぁ、彼が教育の現場にいた手前、前者の意見が叫ばれることはなかったわけだが。
こういうとき俺は前者を支持したうえで、できるだけ、痴漢というバイアスはなしで意見を判断するようにしている。理論的に彼の経済に対する意見に彼の性的指向が入っていると考える方が難しいからだ。そして、痴漢が発覚したからと言って(まだ裁判中だけど)彼の過去の著作、論文をすべて否定しようとする人を俺は信用しない。まぁ、これは雑談ですが。

6,11月後半の日記より

 実をいうと、『万物理論』でいちばん感心したのは、以下のくだりだった。

 困ったことに、世の中には五十分番組の大半のあいだ居間の画面を占めることに不むきな人がいる。その人たちには適性がないのだ〓〓しかも、録音するには大きすぎたり小さすぎたりする音のように、ゆがんだ姿で映しだされてしまう。(p.174)

 これはまったくそのとおりで、いかに才能豊かで魅力的な人物でも、テレビに向いていない場合がある。逆に「適性がある」というだけでテレビに出演している人も数多い。

 また、こんなくだり〓〓。

「“バランスをとる”ことは念頭にない。バランスなんかあったら、マーケティングの連中が混乱するからね。ふたつの矛盾するメッセージを含むものは、宣伝で売りこめないんだから」(p.28)

 以前、岩上安身が「なぜメディアの論調は右と左に偏るのか。『自衛隊イラク派兵には反対だが、領土問題に関しては中国に強硬姿勢をとるべき』という意見もあっていいはずだ」と言っていたが、なぜメディアにそういう意見が登場しないかというと「宣伝で売りこめない」からだろう。

 J・G・バラードもそうだけど、こういう考察ができるテレビ好きの人(かっこよくいうと「メディアに対する洞察力のある人」)は信用できますね。いや、イーガンが1日じゅうテレビ見てるかどうかは知らんけど。

 余談だが、ヨーロッパの通貨単位が「エキュ」(p.82)のままになっている。これだから近未来小説は難しい。

これは、ある手段をシステムとしてどのくらい理解しているか、ということだろうか、、、。ちょっと、それだけとするには難しいけど。本質的にどのようにとらえているかという問題なきもする。まぁ、しかし、本質的な理解という点では間違いないだろう。

なんか、こうやってまとめるといろいろおもしろいことがわかった。まぁ、結局最終的な判断を行うのは自分なわけだが、できるだけバランス感覚を保ったうえで、情報を取得できるようになりたいなと思う。今日はちょっと書きすぎたかも。ではでは。