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FutureInsight.info

AI、ビッグデータ、ライフサイエンス、テクノロジービッグプレイヤーの動向、これからの働き方などの「未来」に注目して考察するブログです。

ライフスタイルの多様性を改めて考える「みんなでライフスタイル」プロジェクトを始めます

以前書いたノマドの記事の反響が思いの外大きく、ノマドと正社員の対立構造を煽る意図はあまりなかったのだが、結果としてノマドという言葉が使いにくくなってしまいました。

上の記事を書いた時はこの意図はなく、ノマドという時間や場所に拘束されないライフスタイルと一般的に時間や場所に強く拘束される正社員というイメージの中間にあるまだ言語化されていないモノを改めて考えたいというのがメインの趣旨でした。
ただ、前半部分をおもしろく書きすぎたため、その趣旨があまり伝わらなかったので、僕がどうしてこの中間解を改めて考えてみたいかをまとめてみました。結果としてすごく長文になってしまいましたが、最近、僕が考えていることをなんとかまとめてみたので、興味のある人は読んでみていただければ、と思います。

考え始めたきっかけ

少し前になるが、ネットを眺めていたら唐突にこんなことば飛び込んできた。

搾取される感じがするものはとにかくもう嫌なんですよ

この言葉は、筑波大学の学生が年金や健康保険などの社会保障を通して自分が搾取されることへの嫌悪感を表明しているのだが、多くの人が若者特有の感性をたしなめる一方、僕にとってはこの感覚はとても真っ当に感じた。多くの人が感じているものを表す総体として「搾取される感じがするものはとにかくもう嫌なんですよ」という大学生が発したこの言葉は一つの側面において正しい。たぶん、圧倒的に正しい。

搾取されている感じが嫌な若者が直面してきた搾取

なぜ、僕がこの「搾取される感じがするものがとにかく嫌なんですよ」という言葉を最初に持って来たかというと、多くの人、特に若者が感じていることをもっとも率直に表すとこの言葉になるのではないかと思ったからだ。近年、新卒採用の数が減り、就職できない人の数が増えて来ている。ただ、これは若者だけが直面している問題ではなく、単純に日本から職の数が減っているという現実がある。今の大学生に聞いてみても、僕が就職活動をした6年前から比べても就活事情は厳しくなっている。今までなんやかんやいって、僕の出身校では就職できない人はレアだった。自分が納得できる、できないにかかわらず、みんな何かしら最後はどこかに就職していた。だけど、今の大学生に聞くと、だいたい全体の1/3は就職できない事態らしい。残りの人は、そのまま就職留年したり、専門学校に行ったりする。この傾向は今後も加速することはあっても減速することはない。企業の新卒主義を批判する動きはそもそも新卒世代に影響を与える。成熟した社会において、全てを解決する魔法のような制度や方法論は存在しない。
今の20代前半の人々は、産まれてからずっと不景気と言われ続けており、好景気だっと時の記憶がない。このような状況におかれて、いきなり高齢化社会に突入し、さあ、これからあなたがはらう税金はほとんど高齢者のために使われますし、年金は払った額よりも減る可能性の方が高いです!といわれたら、誰でもげんなりする。その状況をあらわす言葉として、搾取されているという感じがとにかく嫌なんです、という後ろ向きだが積極的な意見はすごくしっくりくる。

超高齢化社会において若者の未来がなくなるのは民主主義の仕様バグ


厚生労働相により、2060年の人口がおよそ8000万人と現在から4000万人ほど減少する予測が発表された。国の発展の過程で、人口ボーナスという状態がある。これは国の人口構成で、子供と老人が少なく、生産年齢人口が多い状態であり、豊富な労働力で高度の経済成長が可能となる。ちょうど日本では、高度経済成長期が人口ボーナスの時期に該当し、戦後の多産多死社会から少産少子社会へ変わる過程で現れ、この期間で発展出来なかった国は経済成長が難しいと言われている。日本はこの人口ボーナスという時期を、アメリカに国の防衛を委託することで、全ての国の力を経済成長に回すことができた。この時期の若者は、ただ仕事をするだけで経済は成長するし、経済が成長し続けるため、就活に困ることもなかった。
だが、これから日本が迎えるのは、老人しか増えない社会でどのように経済を維持、もしくは軟着陸させるかという極めて困難なタスクである。超高齢化社会は、我々が選択することなく、ただそこに存在するものとして社会全体が突入する。超高齢化社会において、多数の老人が無意識的に若者から搾取を行うことになってしまうのは、多数派の意見に従うことが大前提の民主主義において正義である。正義ではあるのだが、若者は自発的にこの状態を選択したわけではなく、ただ、社会の仕組みがそうであるから搾取され、若者の未来も先細る。僕はこれは民主主義の仕様バグであると思う。この自分が選択されても、ただ社会の仕組みがそうであるから搾取されていることに対する自己防衛から、最近、ライフスタイルの多様性と日本を飛び出すこと、もしくは日本と海外に半々くらい居住することに対するあこがれが強くなっているように感じる。

ライフスタイルの多様性と国家・社会との関係について

最近、良く日本を飛び出して世界各地に居住し、自由に働くライフスタイルを紹介する本、雑誌、人が増えている。代表する人として高城剛、本田 直之、雑誌だとGOETHE、本としては僕のブログでも何度も取り上げた「週4時間だけ働く。」などがあげられる。また、Twitterでもこの主張をする人が多く、生活の主体を海外におきたい、日本での生活に飽き飽きしている、といった主張の人が見られる。この主張自体は間違えたことではないし、個人が目指すのは自由なのだが、ではマクロの視点でみた場合、積極的に海外でキャリアを気づきたいというような方向ではなく、どちらかというと日本での生活がいやだったり、そもそも正社員の待遇を望みながら生活は有期の社員として自分の好きなように働きたい、休みたいという主張が多い。この根底には日本での生活が正社員として一つの場所に束縛されるか、フリーランス、契約社員、業務委託として自分の腕一本で食べていけるようになるかの究極の2択しか存在せず、その中間の解が存在しないことがあげられる。おそらくこの中間部分の何処かに、ライフスタイルの多様性の鍵となる要素が存在しているはずだ。
といっても、僕は正社員としてハードワークをすることで、企業と一緒に成長していこうとする姿勢を批判するつもりは全くない。いや、それどころか後述するが、この企業と一緒に正しい方向にハードワークするというのが将来的な自由をつかむ上で最も早道だと思っている。基本的に自由とは自立、つまり自分の力で立てることが大前提となる。そのためには、自分の力を伸ばし、どこにいても一緒に仕事をしたい、仕事をお願いしたいという関係を顧客と作ることが王道であり、それ以外の方法で、ライフスタイルの多様性を例えば何か制度的なもので実現しようとすれば、それは国の方針や政策に自分の自立という最も大事な部分を依存することになる。子育てなどのそもそも国や地域が責任を持ってサポートすべき事柄も存在するが、ライフスタイルの多様性を望むならば、国や地域のサポートがなくても自立することもその可能性の一つに入れた方が、最終的に到達できる自由のレベルは高いと思う。
国の制度的なサポートでライフスタイルの多様性が実現されている例としてよく引き合いに出されるのがオランダのワークシェアリング制度である。ライフスタイルの多様性の例としてよく引き合いにだされるオランダであるが、このワークシェアリングの制度の導入に伴い、パートタイムジョブの人の数も劇的に増加していることを忘れてはいけない。国がある状態からある状態に進化をする時、それは劇的な進化をする事例は少なく、多くは世代交代による意識の変化に伴い、進化が斬新的に進む事例の方が多い。日本は他の国と比べれば、ある閾値に社会が達した時に劇的な変化を国民全体が許容することができる国であるとは思う。だが、これからの50年で人口が4000万人減る国で、本当に新たな制度を導入できる世代交代を行う力を日本が残しているのか、という疑問はある。世代交代なしに社会の仕組みを大きく変えようとするならば、それは大きな痛みを個人が許容する必要がある。正直、その余力が日本にあるのか、特に正社員という固定的な地位をすでに取得している人が、それを手放す社会的な正義が存在するのか、という疑問がある。民主主義という制度において、超高齢化社会における高齢者の特権階級化、制度の固定化は正義ですらある。そのようなあやふやな国の制度に依存することなく、個人として前の向き方を考えたい。

きちんとした個人としての前のむき方を考える

この文章の目的は、ライフスタイルの多様性や日本からの海外に移住する具体的な方法論を提供することではなく、もう一度自分が実現したいことは何かを考えるためのものである。そのために、最も有効な方法は、つい最近まで日本にいて、最近、海外で暮らし始めた人が見えてきたもの、感じたことを集めて、そこから見えてくることを以下のテーマで考えてみるのがよいのではないかと思った。

  • 日本で制度的、文化的な理由によりライフスタイルが縛られていること
  • 日本では達成できなかった、海外に行って良かったと思われる点、海外生活の楽しい点
  • 日本と海外でライフスタイルの多様性を実現する上で大きな違いとなっているもの、日本では導入されればいい、と思っていること
  • 海外であっても個人の力で達成すべきこと、日本よりも重要視されること

上記のポイントをクリアにすれば、今の自分の置かれている環境が日本という制度、文化に依存しているのか、それが海外に行けば解決するのか、単純に自分の今の立場が納得できないことを日本という環境の責任にしているだけではないか、ということを考えることができる。

まとめ

というわけで、これから何人か個人的な知り合いなどに声をかけて以下のアンケートをお願いしていきたいと思います。

  • 簡単な自己紹介と海外に移住した理由
  • 海外に移住してみて気づいた、日本で制度的、文化的な理由によりライフスタイルが縛られていること
  • 日本では達成できなかった、海外に行って良かったと思われる点、海外生活の楽しい点
  • 逆に日本の方が良かったという点、海外だと達成できないだろうなと思われる点
  • 日本と海外でライフスタイルの多様性を実現する上で大きな違いとなっているもの、日本では導入されればいい、と思っていること
  • 海外であっても個人の力で達成すべきこと、日本よりも重要視されること

すでに何人か個人的な知り合いの方々には声をかけており、ありがたいことに声をかけた人はみんな協力していただけることになりました。もし、ここまで読んで、このエントリーの趣旨に賛同し、海外在住でこのアンケートに答えてもいいよ!という方がいたら、一般公開を前提に是非以下のフォームからご回答いただければと思います。

また、ご意見、ご感想などもしあれば、Twitterやっているので、@gamellaに送っていただければ。よろしくおねがいします。