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FutureInsight.info

AI、ビッグデータ、ライフサイエンス、テクノロジービッグプレイヤーの動向、これからの働き方などの「未来」に注目して考察するブログです。

シンガポールで働くワーキングマザーのライフスタイル

みんなでライフスタイル

以下のスタートした「みんなでライフスタイル」プロジェクトの第6弾です。

まとめサイトはこちら。

今回回答いただいたのは、シンガポールで働くワーキングマザー3103さんです。

簡単な自己紹介と海外に移住した理由を教えて下さい。

米系企業に勤めるworking mother、現在育休取得中。
日本支社に在籍中に産休を取得、夫の転勤に伴い家族そろって移住。復職先はこちらのブランチの予定。今ポジションを探してもらっているところです。

最近、シンガポールに転勤する人も多いですね。アジアのビジネスのヘッドクオーターを税金の低いシンガポールにしたいという流れが多いのだと思います。

現地に移住してみてはじめて気づいた、日本で制度的、文化的な理由によりライフスタイルが縛られていることがあったら教えて下さい。

「日本にいる間は縛られていると感じていたけれどこちらに来たら解放された」と思う部分はたくさんあるのですが、それは制度や文化の問題というより、私がおかれている特殊な状況に因る部分が大きいと思います。簡単に言うと、私にとって縛りからの「解放」であっても、ローカルの人々にとっては「縛り」であるというものが多いなと今は感じています。

代表的な例で言うと、たとえば、こちらだと住み込みのメイドがすごく安価で雇えるので保育園以外の選択肢がある、と言えばそうなのですが、逆に現地採用のローカルの人々は産休育休合わせて3カ月くらいしかないので、彼らはその制度に縛られているわけです(私はまだ日本法人の従業員なので日本の法律に守られています)。3か月からこどもを預けようと思うと保育園はかなり限られるし高いし、より安価なメイドという選択肢があることはgoodに違いないのですが、でも3カ月で復帰しないといけないというのは母体にとって(少なくとも私にとって)かなりきつい選択を強いられていると感じます。なので、私にとっては選択肢が増えたのですが、ローカルの人にとってみれば「3カ月しか休めない」という制度的制約のバーターであるという側面は否めないと思うのです。

このように共働きが基本形態であるが故の「縛り」がローカルのみなさんにはほかにも色々とあるだろうと思うのですが(さっさと復職しろというプレッシャーが半端ないというのはこちらの人と国際結婚した友人から聞いたことがあります)、私にとってはこれも「解放」です。日本にいれば「そうは言ってもこどもには母親が必要だから」というのが一般的に言われることで、私も「やっぱりなるべく長く一緒にいてあげたいわよねぇ」と『思うわよね』というプレッシャーにさらされていました。早く復帰したい、というよりも、自分たちのタイミングに合わせて復帰の時期を選びたいと思っている私にとっては今の状況の方が「解放」と感じます。

また、私にとってもうひとつ快適に感じたのは、実際我が家はメイドを雇っていて、恐らく日本にいたらハウスキーピングの人を使うだけでもなんのかんの各方面から言われたかと思うのですが(他人に家のカギを預けるなんて!等)、物理的に遠いだけでかなりそっち方面の雑音はミュートされます。これは間違いなく解放と感じられる部分です。なので、結局私にとっては、自分のニーズにより合う国に来た、そして外野の雑音から遠いところにきたということに意味があったというだけのことかもしれません。

ただ、メイドという選択肢があることは、これは共働き夫婦にとって利点ある選択肢だというのは確かだと思うのですが、日本では制度的にも文化的にも難しいだろうと思います。
(ちなみに色々あって我が家ではメイド+保育園という方法を最終的に選択しました。選べるというのはよいことだなとここでも思いました。)

これは非常に興味深い話しですね。おっしゃるとおり、日本では3ヶ月で復職しようものなら、周りの特に年配のお局さまがたになんて言われるか。想像するのも怖い。でも、3ヶ月って、まだきちんと歩けない人もいるわけで、その状態で復職しろプレッシャーがあるというのは、人によっては耐えられないっていう人も多いかと思います。そういうなかで、選択肢がたくさん用意されている状況っていうのは、良いなーと思います。あと、メイド損害保険とかそういうものってあるのですかね。僕も家の鍵を預けるのには結構抵抗ありますが。

日本では達成することができなかった、現地に行って良かったと思われる点、海外生活の楽しい点などがあったら教えて下さい。

特定のコミュニティに属していないので、そこでの「当たり前」を強要される機会がものすごく減りました。早く復職しろだのするなだの、どういう保育園がいいだの保育園はよくないだのetc...しかし在外邦人のコミュニティに属していると色々と幼稚園選び等にも水面下の探り合いがあるようで、そこから遠ざかっていることがよいのかもしれません。とは言っても、こちらのローカルのコミュニティにも属していないので。。ローカルの皆さんにはローカルの皆さんの中での不文律に縛られている部分があるのだろうとは思います。

あとは一般的なところで食べ物の物価が安くかつ質も高いので基本的には外食文化、家族そろって毎日夕飯は外食とか、帰り道にフードコートで買ったきたもので済ませるとか、全然普通なので、働くお母さんが理不尽な責められ方をすることは日本に比べかなり少ないのではないかと。まぁでもメイド文化なので、基本子育てはメイド任せといった側面も否めず、私個人が手放しでこっちのやり方を絶賛するかというとそれはないです。いいとこどりをするように心がけています。

あと、複数民族国家なので基本的に多様性に寛容という文化的素地があります。日本人だからということで嫌な思いをしたことはほとんどないです。これは欧米なんかに行く場合と顕著に違うところなのではないでしょうか。ただ、日本人の駐妻は英語をしゃべれず日本人同士で固まっているというイメージは固定化されつつあり、うっかりしてると舐められます。なんだろう、「ぼーっとしてるとtake advantageされる」っていう感覚は日本にいた時は余りなかったのですが、こっちに来るとそれはかなり意識しています。ローカルマーケットとかで買い物するときも値札ないので、吹っ掛けられた時にちゃんと言い返せるかとか、そもそも吹っ掛けられないように振舞おうとか、あぁでも働く独身女子だった時は似たような感じありましたが、それよりはるかに生活に密着したレベルで足下見られないように気を張っている部分はあります。男の人だとまた違うかも。

その代わり皆はっきり物事を言うので、こちらもちゃんと主張さえすればお互い納得のいく結論にたどり着きやすいと思います。まどろっこしい会話もないし、店員の態度は悪いけどyes/noははっきりしているので、不快なことは不快だと告げれば改まることもある(当然そうならないことも多いです)。

それと、ここは勢いのある国なので、その他大勢の発展途上国同様だと思うのですが、こどもに優しい。みんなこどもが大好きで、ほとんどのレストランで子どもが入ることを嫌がらないし、時には大人の食事中店員が遊んでくれたりすることすらある。小さいこどもがいたらもう美味しいレストランには行けないと思っていたけれど、かなり自由に行けているのはこの国に来たおかげだなあと思います。タクシーの運転手もほぼ皆子連れに好意的で荷物の乗せ下ろしも積極的に手伝ってくれるし、この国の未来は明るいと思ってしまうほど感動的な光景。まぁでも全員ではないです、当然。でも言えばやってくれる。あと普通に街をゆくひとも子連れには優しいです。特に男の人。日本では男の人に何か助けてもらった覚えとかないのですが(席を譲ってもらうなど)、こちらではちょっとした段差に差しかかる前から、さっと助けを差し伸べてくれるなんてざら。タクシー待ってる時も「乗せる時助けるからね」って声かけてくれたり、タクシーの優先レーンに身障者や妊婦、老人以外に、小さい子供連れのひとも並べたり。とにかくみんなこどもに優しい。これは日本では同じお母さんたち以外から受けたことないレベルの優しさ。個人的に徴兵制度がある国はいざという時は女子供を守るのが俺たちの仕事だと思っているからだと思ってるんだけど…思ってるだけです。前に韓国人の知人(男性)に聞いたらそれはあるかもねと言ってましたがこちらではどうか知りません。

私は自分のバックグラウンドとして大学卒業してからずっと米系企業に勤めていたせいで恐らくこういうはっきりしたやりとりで物を捌いていくことを割と快適と感じる方だと思うので、このように感じるのはその影響が多分にあるかなと思います。というわけで見方を変えるとネガティブにもとれますよというのを次に書きます。

おもしろい話、参考になる話ばかりなのです。一番気になったのは、日本にいる僕と同年代の人で、一番感じたことのない感覚って「勢いのある国」っていう感覚ですね。良くも悪くも、勢いのあることって、バブルの頃は子どもだったので知りませんが、その国の性質が強くでることになるとおもうんですよね。
なので、もしかしたら日本人はもっと積極的にお金使いたいとおもっているのかもしれませんし、シンガポールはやさしい人が多いのかもしれません。ぼくは、清貧とかそういうことを信じてなくて、どちらかというと経済成長が貧困を減らすもっとも効率のよい方法だと信じている派なのですが、その勢いのある中で優しさが多い国っていいな、と思います。
あと、もう一個、油断しているとすぐに足元を見られる感覚って、日本だとあまりない(アメリカだと日本人だけ価格が違うとかタクシーがやたら遠回りするとかありますね)のですが、これもおもしろいなーと思いました。

逆にここは日本の方が良かったという点、現地だとこれは達成できないだろうなと思われる点があったら教えて下さい。

一にも二にも、サービスレベル。+質の高い均質なサービスを提供できる従業員。そういうひとたちには本当にお目にかかれないので、やっぱり日本という国のサービスレベルは物すごく貴重な資産なのだなあと思う一方で、もしかしたら日本人以外のその他大勢のひとにとってはあれは「過剰」以外の何物でもないのかも。ガラパゴスサービス?

たとえば、日本でもそれなりに高級なラインナップで知られる化粧品を使ったフェイシャルエステがあって、私はそれを1時間2000円という破格の値段で受けているのですが、エステの場所はごみごみしたフィリピン人の巣窟とも言うべき古いショッピングモールの中で、個室も、清潔感こそありますが、病院の大部屋の中のひとつのベッドをカーテンで仕切った感じのスペースで、ラグジュアリー感の欠片もないところなのですが、何より技術は確かなので全然問題ないわけです。でも多分日本にこんなエステあっても絶対流行らないと思うし私も行きません。

サービスレベルという意味で言うと、あとはサプライチェーンの不安定さ。自分が消費財の世界にいたから尚更感じるのだけれど、やっぱり日本の小売り業界の、商品の安定供給に対する期待値の高さは異常。こっちでは普通に水でもなんでもしょっちゅう品切れになる。次いつ入るか聞いても誰も知らない。なんでそんなこと聞くの?くらいの感じで鼻で笑われるか「え、こっち買えば?」って真顔で別のブランド勧められたりは普通。日本だと品切れしたらしばらく担当の営業が出禁になったりは普通なので、この国で営業が出禁になる為にはどれほどのことをやらかせばいいのかなあとか思ったり。でも実際に日本ではメーカーはその期待値を満たす為に必死で投資しているわけで、そんなことしてる人と金と時間があるのならもっとよいもの作る時間に使わないと、このひとたちにいつかは追いつかれちゃうのかもね、、と。ここでも、ガラパゴス小売業を感じつつ。
(ただ日本の小売りをフォローすると、いかんせん市場自体が非常に細分化されているのと限りなく商圏が狭いので、自分とこで欠品出すとすぐ近所に客を取られる、という強迫観念に常にさらされているという現実があるのは事実です、本当にそれが事実かどうかは別の問題ですが。。小売業自体の再編成がもっと進んで、上位5社くらいで市場を分け合うようになったら変わるかもしれないですね。当分先のことになるでしょうが。)
まーそんなこと言いながら私も、いつ行ってもこのブランドのこのサイズの水があるというのが当たり前の国から来たので、非常にストレスでした。笑 もう慣れましたが。

それとオンラインショッピング(デリバリーサービス含む)。何かをオンラインで発注するというのがまだまだ全然commonではないので、日本にいた頃はこども関係のものなどネットで買いまくっていたので、歩いて探しまわるのは本当に不便。店頭で買ったものでもデリバリーのサービスは点ではなく面で実施されるので(XX地域はいつ、というのが事前に決まっている感じ)、希望の日程がかみ合わず3週間以上待たされたことも。

あと、やっぱり、どこまでも求められる主体性。これは疲れてる時はちょっとしんどいです。店員はいつも強引だし、いらないものはいらないとはっきり告げないといけない。察する文化なんて基本的にはないし、たとえばバス停にいても手を上げないと通過されたりするし、バス停のアナウンスもない。仕事の場なら尚更で、ひとつの会社に勤めあげるのは別に当たり前ではないので、そういう意味で時間と労力をかけてチームを醸成しようという方向にエネルギーを使ったりはしないし、私はチームワークの化学が結構好きなので、個人プレー偏重はちょっと時々しんどいかと(まだ働いてないのでなんともですが)。←でも日本にいる間から電話会議とかしていても感じる部分です。

日本のサービスの質の高さとそれを達成するための過剰な投資の話しはやはりきちんと我々も考えないといけませんね。でも、それが商圏の狭さや細分化された需要を満たすための競争で、それに負けるとすぐにお客さんが取られるって視点はいままでなかったので面白いです。
あと、エステの話とかも非常におもしろいなー。なんか、そのままシンガポールでの生活的な内容で本を書けそうなおもしろさですね。

日本と現地でライフスタイルの多様性を実現する上で大きな違いとなっているもの、日本では導入されればいいと思っている具体的な事例があったら教えて下さい。

住み込みメイド。これは上で説明した通り。でも文化的にまだまだまだまだ難しいと思うので、看護や介護のエリアでもっと順調に実績を上げていって…とは思うけれど、どっちにしろ日本人の求めるサービスレベルには一生たどり着かないと思うので(日々実感)、かつそれがまぁ安価である所以でもあるのですが、その辺を割り切れるように日本人がなるのかどうか。。ならない気もします。

移民導入。最終的にはワークシェアリングがもっともっと普通になったらいいのになと思ってます。昨今話題になりましたが、女性は体の仕組みとしてどうしても妊娠出産をしようと思ったら仕事が一番面白くなる時期に前線を退かねばならず、一度退くと本人のモチベーション、制度の問題、文化的素地、色々組み合わさって再び元の状態で戦線に復帰するというのは難しいのが現状だと感じています。じゃあどうすればいいのかというと一朝一夕に解決する方法は多分なくて、個人的に最終形態として思い描いているのは、企業が常に余剰人員をかかえていて、activeなheadcountが全従業員の半分くらい、という状態。当然個々の給与は今よりかなり下がると思いますが、今後どんどん人口が減っていく中で、アウトソースできる単純作業をどんどんそぎ落として安価な外国からの労働力に担当してもらいつつ、残ったコアな部分をみんなで分け合って協力してまわしていけるような企業もあっていいのではと思います。その為にプロセスがきちんと明文化され、個人のrole&responsibilityは常にpositionとともに明確にされていることが必要です。この辺は私の聞く限り日本の会社ではあまりないようなので、全体としての仕事量を把握する為にも是非実現されていけばいいなと思っています。一方で個人的には24時間働けますか的な仕事の仕方も全然アリだと思っているので、全体の仕事量を明確化→positionにおけるR&Rに落とし込む→24時間働きたい人用のpositionも子育てしつつ減速しながらもがんばりたい人用のpositionも用意→使い捨て可能な労働力用のpositionも用意、みたいな形でbreakdownしていくのが当たり前になればよいのでは。しかしここでも敵はいつも既得権益を握る老人たちなので、立ちはだかる累進課税制度にどう挑むのか、まったく見えません。。

この国は、移民も多いし外国からの出稼ぎ労働者も多いし、そもそも複数民族国家で、それぞれが皆違う役割を持って働いていることによって成立している、という仕組みです。私はここに日本が生かすことのできるヒントがあると思っていますが、一方でこれは身分というか、クラスタの固定化という側面もはらんでいて、その辺はちょっと自分の中で答えは見えてません。たとえばこちらでは道路は常にきれいでごみひとつありませんがそれは常に道路掃除をする為だけの役割のひとびとが大量に安価で雇われているだけにすぎません。それは大抵インド系のひとたちで、じゃあたとえば日本でもそういう仕事を創出したとして誰かやるのかというと、多分誰もやらないんじゃないかなあ。みかけの上では皆「平等」であるはずの日本では、そういうあからさまな賃金格差があるような仕事には進んでつかないと思うのです。でも結局、多様性とは格差そのものであり、格差の受容なしには実現し得ないという事実を日本人が皆で痛みとともに飲み込めない限りは状況の変化は望むべくもないのでしょう。そして以前にgamellaさんが指摘していらした通り、民主主義の大原則である多数決に則って採決する限り、この国の行く先を決めるのは常に老人で、彼らが格差を作りだすとすればそれは常に老人に優位なものになっているはずで、「より高度に働く人により高い賃金を」「働きたいけれどそれが難しい人には状況を改善する為の手助けを」「働けない人にはそれなりの保障を」という再配分では自分たちにベネフィットがない以上、劇的な変化を望むのは難しいですね。。大分脱線してしまいました。

具体的な提言もあり、非常におもしろいなー、とすごく勉強になってます。僕も今、育児中で仕事量を意図的にある程度セーブしているのですが、セーブしている分、いろいろ見えてくるものもあります。それは、仕組みを作るという部分にかけている労力がやはり少ないんじゃないか、というポイントです。今後、この仕組みを作り、仕事のポジションを明確化する作業は日本企業が遅かれ、早かれ取り組む必要がある部分だと思うのですが、上に登りたい人は年収900万円を超えた辺りから現れる累進課税の壁、より緩い仕事で良いという人には、そもそも安価な仕事を大量に発注するということに対する忌避感があり、なかなか日本では進まなそうな部分ではあります。
なので、僕は最近、ちょっと考えが回ってきて、過去に自分でこの国にとどまることを「撤退戦」と表現しましたが、退路をきちんと考えずに「撤退戦」をすることほど愚かなこともないな、と思うようになってきました。そのためのヒントとして、「みんなでライフスタイル」をはじめてみたのですが、たくさん有意義な意見をいただき本当にやってよかったと思ってます。

現地にいても、これは日本と変わらず、個人の力で達成すべきこと、むしろ日本よりも重要視されることがあったら教えて下さい。

自分の人生を自分の責任において主体的につくること。それもかなり若いころから。

小学校の4年生の時点で将来がほぼ決まってしまう国なので、こどもの教育にはみなさん本気でお金かけます。それ以外にも、国民年金制度及び皆保険は既に破たんしているので、その辺も自分の責任でライフプランニングしないといけません。でもこの辺は日本ももっとそうなっていいんじゃないかなあと思うのです。小学校や中学校から投資や統計、戦略的思考、オブジェクティヴに物を考える訓練、もっと主体性を培うような教育になっていけば、そういうことをできる力を持った大人が増えると思うのですが。

こちらでは弱者や老人に余り優しいとは言えない国策が続いてきたことにより国民の不満が高まり、先日発表された2012年度の予算案では大きく今までとは違う方向に舵を切って、社会的弱者への還元をうたうものになりました。私が以前話したことのあるタクシーの運転手は「この国は若者や、働けるやつにはとことんサポートするが、そうでないものは生きていけない。自分の周りもみんな移住したり、それを検討したりしてるよ」と言っていて実際本人もオーストラリアに見学に行ってきたとのことでした。このままではこの国からシンガポール人がいなくなるのではないかと運転手が危惧していたのもあながち言い過ぎでもないのかもしれません。まぁでも、定年退職後に南の国へ移住するくらいバイタリティのある老人がいる国ってよくないですか。お国からもらえるものにだけたかって生きながらえようっていうのよりよっぽどいい気がするのです。それもまた老人の生き方の「多様性」として、ポジティヴに受け容れてもらえたらと思うのですが、ここでも日本のガラパゴスサービスレベルが立ちはだかるだろうなと思います。。70歳近くまで日本のサービスレベルの恩恵に預かってきたひとたちが突然南の国で主体的に老後を生きていくっていうのは、、日本人村でも作りますかね。。移民(若者)を受け入れ、移民(老人)を送り出す。。聞く人が聞いたら激怒して街宣車がうちまで来そうなこと思いついてしまいました。笑


なんか散漫に書いてしまって全然「米系企業で働いてます(キリッ」的な感じじゃなくてすみません。。分かりにくいところあったらまた連絡頂ければ補足させて頂きますので。。こんなのでお役にたちますかどうか。。

いえいえ、ものすごく役に立ちました。たぶん、このブログ始まって以来の社会的有用性の高さだと思います。
シンガポールの人はシンガポールの人でオーストラリや南の国に移住を考えているというのは非常におもしろいポイントだと思います。こうやって、もっと場所やサービスにみんな自由になっていけばおもしろいのになーと本気で思います。自分のライフプランを自分で作ること、より場所から自由になることっていうことをもっと考える、もしくは今囚われている場所から出るっていうのがポイントなのだと思います。

まとめ

シンガポールで働く3103さんのアンケートを紹介しました。読み応えのあるとてもおもしろい内容でしたね。
ご意見、ご感想などもしあれば、Twitterやっているので、@gamellaに送っていただければ。あと、よろしければ海外在住の方は以下のアンケートにお応えください。