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『ウェブ社会[本当の大変化]はこれから始まる』を読み変化したGoogle観

いつも楽しく読ませていただいている梅田望夫氏のMy Life Between Silicon Valley and Japanだが、今回のコラムは特に興味深かったので、言及してみる。

Googleにインターンするつもりもあって、この辺の情報に関してはいろいろアンテナを高くしており、そのたびに自分の意見は述べてきたが、コラムを読んでどうやら僕の意見は感覚的にずれていたのではないかを感じた。

俺は、Gmaiの完成度と利便性の高さ、また、たびたびGoogleFileSystemとともに議論されるGoogleの高度で安価なサーバー保守技術から、今後Googleは個人の情報(本、映画、コミック、スケジュール、メール、音楽、写真、blog、グループなど)をブラウザー上ですべてマネージメントできるようにするのではないかと考えていた。もしブラウザー上で現在のデスクトップ上で行えることがすべてサービスとして提供されれば、それは情報へのアクセスを全てGoogleを通して行うこととイコールとなり、Googleにとっても広告、マーケティング、そして今後俺が予想したパーソナル・ライブラリーサービスと合わせとても都合がいい。

だが、このコラムで触れられたGoogleで働くエンジニアの話を聞いて、俺の考えが足りなかった部分に気づいた。

「世界政府っていうものが仮にあるとして、そこで開発しなければならないはずのシステムは全部グーグルで作ろう。それがグーグル開発陣に与えられているミッションなんだよね」

昨日の日記でも述べたが、今後も情報は増えつづける。この情報に重み付けを行い、ある体系にしたがうことで効率的にアクセス可能にしたのがGoogleだったが、上記の言葉を聞いて俺の認識のずれに気づいた。俺のいままでGoogleに対して漠然と感じていた違和感というものは、この世界政府という概念がすっぽり抜けていたのだ。

これはつまり、どういうことかというと俺は今までGoogleは新たな情報のインターフェースを構築することでユーザが情報に触れる機会を増やし、その機会の中に広告を入れることで今後も拡大していくのだろうと考えていた。このことには、いろいろな人がたびたびふれており、そのたびに「ビジネスモデルとしてはあたらしいものではない」というような結論になりがちだった。

だが、この言葉を聞いて、Googleはそのような方向に発展するのではなく、既存の情報に関してはアクセスする手段を与える一方で、今後新しく登場する(まだ権威がない)情報に対してはGoogleが情報の価値の格付けを(最悪、権威として)行うようになっていくのではないかと思った。例えば、blogのようなあたらしいジャーナリズムになるかもしれない(いまのシステムではなりえないかもしれないが、、、)情報に対しては、Trackback、コメント以外の機能を積極的に付加し、その新機能を通して格付けを行うようになるかもしれない。インパクトファクターという指標としてはあまりあてにならない格付けが一応存在する論文という情報に関しては、Google Scholarで違うかたちの知の格付けを行う可能性もある。つまり、そのような新しい、もしくは格付けされていない情報のコントロールを行える地位に収まるということをおこなってくるのではないかと思った。もちろん、このモデル(ビジネスモデルではもはやないかもしれない)は、俺が初期に考えていたモデルと相反さないので、両方向から薦めると思うが、今後、こういう側面をもってGoogleは見る必要があるなと思った。