意識とは、極めて並列性が高く、またそれに最適化された浅いアルゴリズムで構築された脳に逐次的アクセス権限を与えるものだというのが、最上さんの見解のようです。
役に立たない日記
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どのような構造がそれを可能にしているかは、まだまだわからないことだらけですが、僕もきっとそんなものだろうなぁと思っています。
この構造にはもちろん得手、不得手があり、例えば、簡単な計算をぶんまわすようなことには訓練が必要になります。それは、無意識に過去の計算結果をストックしておくようなスタックのテクニックで、暗算の得意な人や詳細な記憶が可能な人はようはこのあたりの機能が発達しているのではないかと思います。なので、もちろん、人間の意識が連続であるとか、思考がつながっているというのは、意識が逐次的にアクセスすることに特化しているためそのように思わせているのではないかと思います。
この逐次的アクセス権限の部分には、相当、確率論的な最適化が施されており、大きなデータにアクセスするときにおいしいところだけをうまくとってきます。これは、浅いアルゴリズムで構築された確率論的手法のもっとも得意な情報圧縮の処理です。
このとき、どのようなデータ構造で情報を保存しておくかというのが一つ問題です。それは、脳という器官は明確なメモリという概念を持たずネットワークのトポロジーが刻一刻と変わることでメモリみたいな記憶装置を実現しているため、データ構造もそれに最適化されたものになります。そのとき、確率論的過程というものは逆にマイナスに働きます。アクセスに確率過程が含まれると、データの一貫性を失う可能性が高いからです。なので、この記憶に関しては、そのために短期と長期に分けて最適化した器官を別個に作成しました。
で、われわれは、こういうことを全く考えずに意識というものをとらえようとしがちです。それは、人間の身体能力のことを考えずに格闘技の体系を論じるようなもので空論になりがちです。この知性というものは脳という器官に強く束縛されているが、真の知性とはそのような束縛の外に存在するという考えもあり、最近の興味はその辺にあります。
その辺をどうやってプログラミングしたらいいかはまだまだ考えがまとまりませんが、現在の生物学のような、虫食いのようにさまざまな情報が乱立する知識を体系化するのはそのような知性ではないかと考えています。そんなマシンを作っても、その成果物を人間が理解できるものかどうかはわかりませんが。