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黄教授と科学論理

  • グローバル倫理が黄教授を引き摺り下ろす

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2005112893058

韓国の科学者たちが新たに用意された規制体制の中でも早期に研究業績を上げれば、彼らが世界の手本にならないわけがない。韓国の科学者が、幹細胞研究が退行性疾患に效果的な治療方法を開発することができることを見せてくれるなら、道徳的基準に基づいて幹細胞研究に反対した西欧の科学者たちも、考えを変えるようになるだろう。

社説を簡単に要約すると、科学倫理というものが現在はある程度グローバル化しているため、韓国が科学技術のトップとなるためには、その倫理は守らなければならない。しかし、もし、この新たな倫理の範囲内でも科学的に圧倒的な成果を韓国科学界があげることができれば、その行動は世界の手本となり、西欧の科学者たちも考えを変えるだろう。(なので、黄教授も復活するに違いない。)

これが新聞の社説になってしまうのが俄には信じられないが、もしかしたらこんなことを本気で韓国社会は考えているのかもしれない。だとしたら、その根本的な倫理観は西欧諸国はのみならず日本のものとも明らかに異質なものであると断言せざるを得ない。

まず、科学界においては、どんな成果をあげようとも、もしそのプロセスに明らかな倫理的問題(このケースだと、同じ研究所で立場的に下の人に対して卵細胞を提供させた)があった場合、そのプロセスを全面的に謝罪して、二度とそのようなことがおきない用にシステム自体を変えないかぎり、その人を認め直すということは無い。それは、単純に生命科学というものが社会とともに発展していく上で最低限守らなければならないことだからである。

そんなわけで、まるでゲームの規約のように科学的倫理観というものをとらえている姿勢には唖然としてしまう。少なくとも、研究の成果をあげる前に、なぜこういう事件が起きたのかという調査とそれに基づく倫理意識の強化をまず目標にあげるのが筋な気がするが、この社説の感覚を単純な韓国社会の実利主義的一面が如実に表面化しただけと考えるべきなのか、本気でこういう風に多くの韓国国民は考えているのかどうかまではよくわからない。