長らく読んでおり、過去に一度取り上げた「ゲームデザインのこれから」ですが、ついに最終回です。
- ゲームデザインのこれから(14) 最終回:なぜゲームは売れるのか
http://blogs.dion.ne.jp/arere/archives/2744887.html
ちょっと、これを全て振り返るのは無理ですが、ゲームの「面白さ」におけるイノベーションのジレンマの章はこれまでの内容のまとめとしておもしろいと思います。
しかし良く考えて欲しいのです。たとえば僕らは凄く面白い小説とそうでない小説を、日常的に小説を読みこなしている人ほど、ハッキリ認識できるでしょうか?たまにしか読まないという程度の人なら、大抵の小説はそこそこ面白いと感じるのではないでしょうか。プロの批評家からは酷評されているような小説でも、小説に詳しくない人なら、きっとそれなりに楽しめます。つまるところ舌が肥えていないからです。
そして恐らく人々の大部分は、僕らのような関係者とは比較にならないぐらい、ゲームに対して舌が肥えていないのです。そういう人たちに向かって「なんでこんな面白くないゲームを買うの?」「なんでこんな面白いゲームを買わないの?」といくら叫んでみても、それは無意味というものでしょう。それなりに楽しんだ小説に対して、プロの批評家から「そんなくだらない小説を良く買うもんだ」なんて言われたとしても、そんなの余計なお世話です。
でも逆に言えば、たぶん大多数のユーザーからも「つまらない」と認識されたゲームは、やっぱり売れないと思うのです。たとえ宣伝戦略で売れたとしても、中古ソフト屋に買取依頼が殺到するのがオチでしょう。
その大多数のユーザーが満足する「面白さ」のラインがどれぐらいなのかは残念ながら分かりませんが、ともかくその必要最低限の「面白さ」は、ゲームが売れるためには絶対必要、しかしそれ以上に面白くなっても、売上的には大きく貢献はしない、そのように考えてみたのです。
それは、タクティクス・オウガのことかーーーー。(ごめん、これを言いたかっただけ、、、)
まぁ、この結論は示唆に富んでいます。
面白さやあるターゲットに特化していくのではなく、複数の需要、複数のターゲットを同時に満たす、難しいことですが、これから売れるゲームを作っていくためには必須のことなのではないか、それが僕の結論です。
この複数の需要、複数のターゲットの中に、どのようなエンターティメント、社会的情報、実用性を組み込んでいくかが重要でしょう。(きれいにしめてみた)