今日は風呂に入ってもまだ時間があるので、最近考えていることをまとめておこうと思う。議題は最近読んだ「ウィキノミクス」から。
まず、この本の中では二つのオープン・コラボレーションの形が記されている。一つは、社外のオープンソース・コミュニティの力を借りるもの、もう一つは社内で出来るだけ情報をオープンにして会社内での開発のスピード感を高めるもの。
社外のオープン・ソースコミュニティの力を借りている企業の代表格はIBM。id:kawatanも言っていたけど、現在のLinuxカーネル、ApacheウェブサーバはIBMがかなりメンテナンスを行っている。この辺りの変化はソフトウエアを売る企業からサービスを売る企業に変化したIBMにとって、ソフトウエアの差別化から提供できるサービスを差別化する方向へのシフトのスピードを高めることに働き、結果として大成功だった。この辺りの評価はほぼ固まっているだろうし、大枠で「ウィキノミクス」の主題ははずれていないだろうから、特に論じる気はない。(PSPに関して書かれていたことに関しては異論はあるが。)
気になったのが、「ウィキノミクス」内で述べられている企業内で情報を出来るだけオープンにすることで会社の開発のスピードを上げるという話。最近、読んだこれに関連するトピックでおもしろかったが、以下のGoogleに関連するエントリー。
- http://d.hatena.ne.jp/essa/20070903/p1 グーグルが起こす第二の革命
- http://d.hatena.ne.jp/ktdisk/20070906/1189059024 無邪気なGoogle礼賛を超えて
グーグル内での情報共有のあり方をid:essaはこのように記している。
2. 上の連載記事で取りあげられているような情報共有のあり方
...
しかし、グーグルが起こした革命の中で、目立たないがより重要であるのは、2の部分ではないかと思う。1と2が同じ一つの企業の中で起こったことは、むしろ偶発的なことであり、1の効果によって2が見えにくくなっている。見えにくくなっている第二の革命は、これから世界全体に波及していくと私は考える。
要するに、役職と所属を無くして、ブログとWikiと掲示板で会社を経営するのだ。
この辺りの各部署間での情報の断絶が大規模開発において問題となっていることはトップはすでに理解し始めている。重複する開発、問題点を共有するために払われる膨大なコスト、スムーズに行えない部署間をまたいだ人員移動と情報がオープンになっていないことから生じている損害を会社はもろにかぶっており、その割に情報を知る人を少なくすることで情報共有に支払わられるコストを削減するということに意味がなくなりはじめている。
「ドクターやハッカーだけで会社を作る」というグーグルの第一の革命は、誰にでも真似できるものではない。しかし、「これらの媒体で流れる情報はすべての開発関係者(2005年当時の社員数約4000名の半分である約2000名)全員にアクセス権限が与えられ,共有可能な状態に置かれている」という第二の革命は真似できるし、多くの会社が真似するだろう。世の中は厳しいので、一部の会社だけがこれを真似して、他の会社がしないですむということはないと思う。
意思決定や情報流通をしないですむ会社はないので、全ての会社はグーグルの第二の革命と真正面から向かいあうことになる。そういう社会へこれから出ていく人たちに、無自覚的なぶらさがり社員が自分の経験を元にアドバイスするのは有害だと思う。
うちの会社もこっちの方向に向かいはじめており、そのシフトのためのコストに苦しむことになると思う。この情報共有のあり方のシフトを行うためにはマネージメント層にその土壌が形成されている必要があり、企業がそのポテンシャルを持っているかが鍵である。トップダウンでこのような決定が行われても課長職が業務の体型として課内レベルではなく会社的レベルの情報の共有を業務に落とし込まないと、情報の共有は進まないだろう。そのためのノウハウを持っているところは少なそうだ。
このような問題の本質を議論しているのが、「無邪気なGoogle礼賛を超えて」のエントリーの方である。こちらも読み応えあり。特に後半部に関しては、よけいなことを書いてしまいそうで、怖くて言及できない。とりあえず、以下の部分が参考になった。
テクノロジーが可能にするのはあくまで分散化の機会の増加であって、分散化の中に全ての答えがあるわけではない。大事なのは技術的な制約がなくなった経営環境で、実際にどこまで分散化するのが最適なのかをその企業のおかれた状況を考慮しながら正しく定義し、実行に移すことだ。
YouTubeの買収計画は「ブログとWikiと掲示板」からでてきたかもしれないが、YouTubeの買収価格が「ブログとWikiと掲示板」で決められたとはとても思えない(あくまで推測ではあるが)。Googleの中だって、未だに普通に中央集権処理は存在するのだ。Googleを中央処理をなくした分散処理機構とみると本質を見誤る。我々が本当にGoogleから学ぶべきは、最先端のテクノロジーと分散処理をするに十分なタレントをそろえたGoogleでさえ、どのようなことは未だに集中処理しているのか、そしてその理由は何故なのかという点ではないだろうか。
この「大事なのは技術的な制約がなくなった経営環境で、実際にどこまで分散化するのが最適なのかをその企業のおかれた状況を考慮しながら正しく定義し、実行に移すことだ。」に直面していることを、まず社員が理解するところがスタートかなと思う。特に海外にも研究所を複数抱えている場合に、英語で発信し続けなきゃ行けないし、そのためのコストは馬鹿にならない。将来的にはインドにも研究所を作ることになるだろうし。近い将来、開発コラボレータというような役割の人が社内に必要になってくるだろうなと感じた。
まだ、あんまり考えがまとまってないけど、今日はこんな感じで、とりあえず終わり。また、考えがまとまったら書く。