以下の記事を読んで、どうしても『日経エレクトロニクス』2008年2月25日号が読みたくなった。この分解記事は日本の製造業にとって重要なことを示唆している気がする。
今回の分解結果から判断できるのは,Apple社はハードウエアの設計の出来映えや徹底的なコストダウンに,さほど気を遣っていないことである。それよりも外観のデザインやソフトウエア,ユーザー・インタフェースなど,同社が得意とする側面に力を注いだのだろう。この姿勢は,iPodやiPhoneなど同社の他の製品にも共通すると見られる。MacBook Airの不可思議な作りは,ハードウエアの細部まで手を抜かない日本的なものづくりに対する,強烈なアンチテーゼなのかもしれない。
そんなわけで、会社にあった『日経エレクトロニクス』2008年2月25日号の該当記事を丁寧に読んでみた。だいたいまとめると以下のような感じ。
日本国内大手パソコンメーカーの技術者の協力を得て行った、分解の中でその技術者が感じたことは「これまで見たどのノート・パソコンとも違う」ということだった。その筐体のデザイン、質感、キーボード、タッチセンサの剛性、フタの開閉時の感触というところで他のパソコンメーカーが絶対に行わないコストの高い設計をしている。電池モジュールは専用の特殊部品、AI合金板にプレス加工で曲面構造持たせ、そのAI合金板を本体に固定するために斜めにネジを入れている。さらにすべてのねじ穴の長さが違う。このあたりは組み立て作業者の難易度を上げるため、日本メーカーでは絶対に行わないこと。さらに、キーボードがたわまいないようにネジを30カ所以上本体に打ち込んでいる。「国内メーカーがコスト削減のために、いかにネジを減らすかに苦心しているのに、、、」という言葉が印象的だ。全体を通して「同じ質感、剛性を実現しつつ、製造コストを削減したり軽量化したりする方法はいくらでも思いつく」という言葉が何を意味するのか考える必要がある。
このあたりの懸念は、id:medtoolz氏の以下のエントリーでうまく言語化されている。
今度発売される新しいノートパソコン「MacBook Air」は、技術的には案外たいしたことがないなんて記事が話題になっていた。日本ならもちろん同じものが作れるし、おそらくはMacBook Air よりも、もっと技術的に優れたものが作れるだろうなんて。
「たいしたことはない」なんて評価を下した人達は、あれを設計したアメリカの技術者よりも優れているのだろうけれど、「優れた」人でなくても、MacBook Air が作れてしまったことに対して、技術者はもっと脅威を感じるべきなんだと思う。
優れた製品を作るために、その技術者が自らに投じたコストというものは、はたしてその人が作り出したプロダクトに見合うものになっているのだろうか ?
技術者の技量は、投じたリソースの平方根でしか、パフォーマンスとして返ってこない。日本人の技術者は、もしかしたら米国人よりも2 倍優れていたかもしれないけれど、「2倍」を達成するためには、たぶん4 倍のリソースを投じないといけない。
MacBook Air の筐体はネジだらけで、技量を持った人が設計すれば、もっとネジを少なくできるらしい。たとえば2倍優れた技術者を投じたならば、技術に4倍のリソースを振り分けないといけない。それで得られた成果が「ねじ数本」というのは、もしかしたらすごく無駄なことなのかもしれない。
つまり、日本のエンジニアが如何に与えられた課題の中で実力を発揮しても、全体として売れるプロダクトに直結しないかぎり、その労力は評価できないという視点である。
VAIOやDellのような量産を行うPCは、できるだけ調達、製造コストを下げる必要があるため、その部分で手を抜くとワールドワイドで展開ができなくなる。なので、一般的な日本のPCとMacBook Airを比較して語ることはできない。ただ値段的にも、思想的にもMacBook Airと比較可能なものが発表された。最低でも30万円以上する至高のノートPC Thinkpad X300である。Thinkpad X300はSSD64Gモデルしか用意しないなど、明らかにコストを度外視したプレミアムを追求している。そして、上のように製造コストを意識しないことで、MacBook AirはThinkpad X300の半分以下のチームとコストで作成された可能性はある。実際は半分の労力で作られたMacBook Air程度のプロダクトとThinkpad X300という期待が同じ軸に乗ってしまう。これがマーケティングの怖さである。世間一般の評価でも、「MacBook Airと同じようなものをThinkpadが出したな」くらいしか考えてないだろう。もちろんビジネス分野での評価は全く違うと思うが。いろいろ考えさせられる記事だった。