村上春樹氏の新作「1Q84」が発売日に4刷が決まり早くも68万部に到達しました。村上春樹ファンの僕も近々購入すると思います。
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コンテンツの大量消費を可能にする現代のコンテンツ消費スピード
最近のWebベースのコンテンツ消費スピードはすごいです。いろいろなコンテンツが作られてはかつてないスピードで消費されていきます。このコンテンツの消費スピードが速すぎるため、現代はたくさんのコンテンツを一気に消費することが可能になっており、現代ではどのようなコンテンツも少しでもおもしろければ注目され、ブログやはてなブックマークやYouTube、ニコニコ動画などで一瞬で消費されつくしてしまいます。現在のTumblr.やTwitterに代表されるストリーム型のメディアはこの傾向にさらに拍車をかけ、おもしろく大衆受けをするコンテンツであれば、それが注目されないのはもはや情報発信者の怠慢なのではないか、という状況になっています。
また、これはちょっと余談になりますが、iPhoneと既存のPSやXBOXで消費されるゲームを比較したときに圧倒的に異なる点はまさしくこのコンテンツの消費スピードで、iPhoneゲームが現代の消費スピードに合致した素早く消費可能なコンテンツであるのにたいし、既存のゲームプラットフォームはそのコンテンツを骨までしゃぶりつくせるような大作に仕上げていることとも関係があります。つまりゲームプラットフォームホルダーがiPhoneのビジネスモデルを見たときに一番恐れるのはこのコンテンツ消費スピードに自分のプラットフォームを適合させることの影響が全く読めないという点が上げられると思います。
現代の消費スピードに対するコンテンツクリエイタ側の対処
このような状況で何が起きるかというとコンテンツクリエイタはまず注目されること、消費されることを前提としてコンテンツを作成する必要があります。それが現代社会においてコンテンツを流通させる最善の方法であるからです。そのように消費を前提に作成されたコンテンツは確かによく売れますが、同時に一種の「オーソリティ(大家性)」を剥奪していきます。つまり、消費されやすいコンテンツを作成すればするほど、そのコンテンツクリエイタも消費されやすいポジションにはめ込まれていくわけです。日本で長く活動を続けているコンテンツクリエイタはこの点に非常に自覚的で、ある程度売れるコンテンツを作成したら長期休暇に入る人も多いです。
村上春樹氏もこの消費スピードに非常に自覚的だと思います。村上春樹氏は外国居住エッセイである「遠い太鼓」の中で「自分が小説家であるためには日本を離れる必要があった」と述べています。
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この点を吉本隆明氏はその著書「真贋」の中で「日常のスピードと円熟のスピードがちぐはぐになっている」と評しており、作家がある一定の水準に達する前に日常のコンテンツ消費スピードがその作家の作家性をすべて消費しつくしてしまうと述べています。ただ、吉本隆明氏は現在唯一意識的にこのコンテンツ消費スピードからの断絶を意識している人がいるとすればそれが村上春樹氏であり、村上春樹氏は意識的にこのコンテンツ消費スピードと自分の作家の成熟度の調和を保っていると指摘しています。
真贋 | |
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村上春樹氏の作品がどうして売れるのか
他方、村上春樹氏は現代のコンテンツ消費スピードをかなり積極的に活用してきた作家でもあります。
それは、村上春樹氏が手Eメールを用いて読者からの質問に答えた「そうだ村上さんに聞いてみよう」の人気シリーズしかり、意識的に村上春樹氏は日本と離れつつ、日本を考えています。また、村上春樹氏の作品がこのような爆発的な人気を博すのもblogやTwitterで村上春樹氏の作品がたくさん紹介されているからであり、僕も昨日は「1Q84」というワードをたくさんTwitterで見かけました。つまり村上春樹氏は日本のコンテンツ消費スピードと断絶しながらも、一定の日本と調和性のあるコンテンツを提供し続けている点が他の作家にはない「オーソリティ」とでも言うべきコンテンツの価値を生み出しているのではないかと思います。このポジションに当てはまる作家は他に存在せず非常にレアな立ち位置です。
この辺りはまったくデータの裏付けもないですが、そのようなことを漠然と感じさせる久しぶりに景気の良いニュースでした。