[追記]全体的に読み返してみてよくわからない話なので読む必要ないです!
前回のエントリーでソフトウェア開発において「身も蓋もなさ」を志向することについて書きました。
これについて少し考えていたのですが、この身も蓋もなさを追及するということがどうして重要なのかなんとなく形になってきたので、まだ不十分ながら書いておきたいと思います。
はてなのインターンに関する記事で以下のような文章を見つけました。
はてなは優秀な技術者が集まる企業だという評価をいただくことがあります。確かにエンジニアスタッフに求めるレベルは平均的にみても高いと思いますし,実際優秀なスタッフが揃っていると思います。では優秀なスタッフだから,好きなことを好きなようにやらせるべきか。それに対しては「ノー」と答えるのが2008年現在のはてなの方針です。
チームのリーダーは,メンバーの特性を把握し,長所を組み合わせて一つの力にまとめていきます。ディレクターはその力で,適切な大きさの問題を解決していきます。ポイントはこの問題の大きさを「一人二人では難しいな」とメンバーが思うぐらいにすることです。分散した個性をまとめあげた力と適切な問題設定があってはじめて,妥協を許さない物作りができる,ひいては世の中の変えるような製品を生み出すことができる―-このように考えています。
なるほど、最近のはてなの各サービスのブラッシュアップの方向性がずいぶんいい意味で企業的なマネージメントになっているなーと思っていたのですが、このような変化があったんですね。
会社でプロダクトにかかわっている視点から見ると、よくこの完成度で市場にだすなーというWebサービスが多々あります(最近は、フレームワークがコモディティ化してかなりすくなくなりました)。このようなものがどうしてリリースされてしまうのかと考えると、たぶん根本的な開発のマネージメントが存在していないんだろうなと思います。
いわんや、個人で作成するソフトウェア、Webサービスをやです。ソフトウェアとかサービスの完成度を高めると言うのは地味で大変な作業なので、それをマネージメントなしで個人で行うというのは、かなり難しい行為です。そのような条件の中で、個人で作ったものがある程度評価を得るためには、狙った着地点に着地する芯のようなコンセプトが必要です。その芯であるコンセプトがどんなものなのかと考えると、なんとなく「身も蓋もなさ」を備えた戦略である必要がある気がするのです。つまり、コンセプトが他人から見たときに、まず何よりわかりやすく、いままで備えていたステップが強引に省いてあり、その「強引な省略」自体がコンセプトの一部となっているということです。うーん、わかりにくいですね。
coRocketsにそれがあるかといわれると難しい部分なのですが、少なくともPS3ユーザには使ってうれしいDLNAサーバである必要があるなーとは考えている次第です。せっかく評価をしていただいたソフトウェアなので、このあたりも含めて方向性を詰めていきたいものです。