つねづねもたない生活を主張しているChikirinさんですが、今回は維持費に関するエントリー。
現代の資本主義社会において、「持たずに生きる」ことがこれほどに難しいことだと痛感したのは、数年前に「持たない生活」を目指すようになってからだ。一緒に旅行に行く友人はちきりんがあまりに何も買わないので驚愕している。ちきりんを含め多くの人にとって“モノを買う”行為はとても有効なストレス解消行為だし、何かを所有したいという欲望は強弱の差こそあれ、もたない人はいないくらいに自然な欲求だ。
このChikirinさんの主張の中で徹底しているのは子どもを明確に維持費として扱っている点。多くの人がもう気づいちゃっているけど、今の世の中で「子ども」がおそらく最大の維持費なんですよね。次は「住宅ローン」、「車」でしょうか。どうも会社も辞めるみたいで、まさに「自由」を追求しています。
この手のエントリーを読むたびに思い出されるのが、もうすでにニートでもなんでもない「海外ニート」さんがお送りする以下のブログです。
こっちもその筋にはかなり有名なブログなので知っている人も多いと思うのですが、結構この維持費の最小化が目指すところと、海外脱出組の主張って似てるのかなーって思います。
それは簡単に行ってしまうと「日本というシステムからの脱出」です。維持費の最小化は脱出する権利と考えても良いかな、と思います。
海外ニートさんがいつも主張しているのは日本の縦社会、社畜、空気嫁社会の生きづらさ。これって結局、自分で金を稼ぐ力がないからそのように感じるわけで、自分の力で金を稼げる人なら、別にそんな社会に付き合う必要ないわけです。維持費の最小化もその追求するところは、自分を以下に社会から「自由」にしておくか、という部分に直結していきます。
持たない生活は目指しているものの、子どもも産まれ、維持費の最小化とは対極に位置する自分にとっては、結局何を背負うかっていう選択の中で何かを決めたっという話でもあるんですが、「何も背負わない」ことを決める流れは今後もかなり広がっていきそうな気がします。また、何かを背負うときは、無意識ではなくその背負うものの価値と維持費をしっかり確認したいものです。