終焉を迎えた勝間ブームの総括が熱いです。発端はこのブックファーストのエントリーです。
「勝間バブル」ははじめの切れ味のいい論旨が、
出版点数を重ねるにつれて人生論や精神論のワールドに入り、
途中「結局、女はキレイが勝ち。」などどう売ったらいいか書店界が
困る迷走の末、対談のような企画ものが増え、
結果飽和状態になり、弾けました。
これに茂木氏、なぜか内田氏が続いたもののついにご本人がコメント。
実際、私もバブル、といわれるようなチャンスの中で1年間、「そこでしかできないチャレンジ」というのを繰り返してきました。これまでとは違った分野での執筆、テレビやラジオなど新しいメディアでの企画立案、さまざまな社会変革に向けた政策提言などです
切込隊長がしっかりこれにコメントと様式美的な流れが続いています。
だから、上念司氏がどういう考えで振り付けをしたかは知りませんけど、働く女性としての生き方やスピリチュアルな方向に執筆の主戦場が移っていくと、品質を担保できるはずがありません。”著者・勝間和代”の「本業」はやっぱり金融、会計にあるのであって、マーケティング主導で他の著者に馴れ合ってみたり、売れなくなった女性シンガーとTwitter上で絡むというのはバブルというより”著者・勝間和代”の消費でしかないように感じます。
終焉後もこんな話題を提供してくれる勝間氏にリスペクトを込め、サブカルパジャマトーク、また本ブログを通して度々勝間和代ウォッチを行ってきた僕もこの総括に参加しようと考えた次第です。
まず、ここではっきりさせておきたいのは、勝間氏は茂木氏、内田氏と比較して、カツマーと呼ばれる勝間氏の生き方に相談する超人集団を作り上げました。茂木氏はモギラーと呼ばれる、例えば茂木氏の髪型を模倣するような集団は作れていません。なので、茂木氏と勝間氏を単純にブームとして比較するのは社会に与えたインパクトから考えて違うのではないかと思っており、そのあたりを明確にするために勝間氏の本は中期までならほぼ読んでいる僕が歴史を紐解きたいと思います。後期は残念ながら「結局、女はキレイが勝ち」以降、僕でさえ興味を失ってしまいましたが。
結局、女はキレイが勝ち | |
![]() | 勝間 和代 おすすめ平均 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
2007年: 勝間和代創世記
2007年4月に発売された「無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法」、2007年11月に発売された「お金は銀行に預けるな」、2007年12月に発売された「効率が10倍アップする新・知的生産術」とこの2007年度の3作がそれぞれ10万部を突破して話題となったことが、勝間和代ブームのスタートだったのではないかと思います。このあたりの書籍は論旨としては非常にわかりやすく、また、2008年9月に発生するリーマンショック前ということもあり年収アップが世間的にも非常にわかりやすい目標として認められていました。
僕もこの時期の本を読み、その分かりやすさに感心していた記憶があります。今、思えば「自分をGoogle化する」や、「アウトプットを重視する」など、昨今のevernote的なまずは記録するという発想、twitterのようなアウトプット社会の流行にいち早くギーク以外が先鞭つけた例として評価することもできるとおもいます。実際に、何人かの人々はこのような発想を取り入れることでこの時期であれば、うまく仕事に活かすこともできたと思いますし、まさに時代が求めていたものをジャストのタイミングで提供したのが勝間和代ブームの初期と考えることができるはずです。
2008年: リーマンショック後の社会の変動に合わせた勝間和代
このように最初は時代に即したわかりやすい自己成長、年収アップ術を売りにしていた勝間和代氏ですが、その後の2008年9月に発生したリーマンショックにより状況がだいぶ変わってきます。
サブプライムローンを発端にしたリーマンショックですが、この時期の勝間和代氏の著作は単純な年収アップ術から2008年3月に発売された「勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド」などのどちらかというと年収アップというよりも人生の生き方的なテーマにトピックが移っていきます。これは、この時期といえばすでに年収が個人の努力というより、リーマンショック前にどの業界にたまたま自分が属していたかに依存しはじめていた時期で、このインデペンデントな生き方ガイドでは、
- 年収600万円以上を稼ぐ
- いいパートナーがいる
- 年をとるほど、すてきになっていく
という生き方を勝間和代氏は提唱します。このコンセプトのシフトも個人的にはかなり見事だと思っており、現代女性の人生論として、なんとか実現可能かつ魅力的な生き方としてニュースなどでも度々取り上げられた「カツマー」と呼ばれる勝間和代氏の著作を信奉する集団が形成されるに足る充分な力を秘めていたと思います。
2009年: ゼロ年代最後の勝間和代
2009年の最初を飾ったのは「断る力」という日本の大企業で一番発揮しにくい力に特化した名著です。名著といっても表示がすごすぎて中身はあまり憶えていないのですが、「断る力」はその勝間氏の手を突き出し、お断り感満載の表紙が目をひきtwitter業界、勝間和代十夜などで話題になりました。
この時期はTwitterと勝間氏が密接に連携していた時機で、非常にメディア露出度も高く、いくつかのニュース番組ではメインコメンテーターとして活躍していました。いま思えばここが勝間氏の頂点だったのかもしれません。圧倒的な存在感を勝間氏が発揮していたものの、多くの人は気づいてしまったのです。あれ、なんか本のネタが同じだし、言っていることも前とかぶってるし文字もでかいなー、ということに。
ここで思い出すのが茂木健一郎氏です。最近全く本が売れなくなったという点で最初にバブルの例として挙げられていた茂木氏ですが、茂木健一郎氏の場合も、だんだん書籍で精神論なのか脳科学なのか何をいっているのかわからなくなってきていました。
そんななかで、勝間氏はこの時機ついにあの迷著「結局、女はキレイが勝ち」を発売します。この書籍の迷著具合は僕もブログで取り上げました。
この本は年末のサブカルパジャマトークでも取り上げ、二人で勝間和代ブームの終焉を予想したものです。この時期、香山リカ氏とのマッチポンプ的な人生論など、多様なメディア戦略を行っていた時機ですが、やはりすでに輝きは失われており、勢いを取り戻すだけの力は残っていませんでした。
サブカルパジャマトークで行った予想を振り返ってみましょう。サブカルパジャマトークで僕たちは、勝間氏のブームはこのまま何もしないとあっさり終わってしまうこと、そのための打開策として勝間氏のアイドル化を行うことを提唱しました。このアイドル化はのちにコンサルティングを48人集めて総選挙で人気コンサルタントを決めるKTM48という制度にまで行き着きましたが、このようなアイディアが採用されることもなく勝間ブームは盛者必衰の理の通り、呆気なく終了してしまいました。
「結局、女はキレイが勝ち」で集めたのはマニアックな勝間信者のようです。
2ちゃんねる熟女板(18禁)の勝間さん専用スレッドには、今回の入浴シーンについて「エロい体してんな」「テレ東の旅番組良かったね。ムチムチ感がたまらなかった。 」といった反応がありました。
熟女マニアの間では勝間さんのおっぱいに一定の評価がなされ、少なからず需要があることが判ります。
おそらく入浴シーンはこうした人達に向けられたものであり、つまり勝間さんが著書「結局、女はキレイが勝ち」で主張されたことは、やはり正しかったのです。
ゼロ年代を駆け抜けた勝間和代
改めて勝間和代ブームを振り返って見ると勝間和代ブームはリーマンショック前の年収アップモードから、誰にも頼ることのない生き方を貫徹する独立宣言(インデペンデンス・デイ)、そしてその後のさまざまなメディアを通した悪戦苦闘と、まさにゼロ年代後半を総括するに足る勝間和代という一人の男性に負けない生き方を目指す女性の物語だったのだと思います。折しも、昨今は婚活、育児的なテーマが盛り上がってきてしまい、なかなか勝間和代のような生き方はメディアでは受けなくなってきてしまっていますが、女性が社会とどのように折り合うかという問題において今後マイルストーンとなる出来事だった、と僕は考えています。今後もid:gamellaは勝間和代を応援します。