村上氏ご本人も極端な例と言っているけど、それでも非常におもしろいエントリー。
結論からいうと、世間で騒いでいる割に、ガラケーのほうが購買者一人当たりの単価が高くてプラットフォーム普及台数が世界で比較しても極端に多い。将来はしらん。
なんかいろいろ考えさせられるのでつれづれで書きます。
コンシューマゲーム機ではソフトウェアの購入代金がそのゲームを遊ぶ権利であり、そのゲームを購入したらその後は基本的には無料で遊ぶことができ、新しい衣装や武器などの副次的なものをストアで販売するという形式が普通です。他方、ガラケーソーシャルゲームに限らずソーシャルゲームは間口をおもいっきり広げて、ユーザがそのゲームに没頭してきたあとで、その先にすすめるため、またはゲーム内で活躍するためにアイテムを購入させるという手法。
この2つを比較してみたら、以下のような特性があるんじゃないかと思う。
- 期待値の高いゲームを作れない会社はそもそもソーシャルゲームしか選択肢がない。
- 前者のコンシューマゲームのビジネスモデルは、大資本を投下して、プロモーションを短期間行い、一気に制作費のすべてを稼ぎ、残りの利益部分は版権ビジネス、BD/DVDで稼ぐ映画のビジネスモデルと似てる。
- お金を払う部分の構造が根本的に違う。ユーザがそのゲームに没頭していたら、アイテム課金の方がお金を払いやすいんじゃないか。
- というかコンテンツにお金を払うというビジネスモデルは「そもそもコンテンツにはお金を払うべき」という暗黙の了解がユーザに必要だが、その部分がすでにWeb上などでの大量の無料コンテンツの提供で存在していないんじゃないか。
なんてことを考えました。つまり、何に対してお金を払えるか?という部分がかなり早いスピードで変化しており、そのスピードにコンテンツ提供側もあわせていかないといけないということですね。