Twitterではおもしろネタとして言及してしまった以下の事件ですが、いろいろ考え込んでいるうちにプラットフォームホルダーとしても、コンテンツプロバイダーとしても笑えない重い事件だな、と感じました。事件の経緯などは以下のまとめなどを読んでいただくとして。
事件の経緯を見るに、おもしろおかしく煽っている人も多いと思うのですが、アイドルマスターのビジネスモデルというのは決してたくさんのソフトを購入させるというものではなく、一部のアイドルマスターを本当に好きなユーザに衣装などのアイテム課金で継続的にお金を払ってもらうことで成り立っているシステムです。
これは考えてみると今のソーシャルゲームのビジネスモデルとかなり一致します。ただ、アイドルマスター自体はコンシューマゲームであり、そのソフト自体も結構な額がしますし、DSのアイドルマスターの売上などを見るに、グラフィック重視の根強いユーザが多いので、XBOX360でアイドルマスター2を出すという決断自体はこれまで支えてくれたファンのことを考えると決して間違った決断だとは思いません。ただ、今回の件がなぜ今までアイドルマスターを支えてくれたファンの逆鱗に触れたかを考えてみると、最近のコンテンツの性質の変化に関係があるのではないかと思います。
アイドルマスターというコンテンツが盛り上がった経緯として絶対に外すことのできないものにニコニコ動画のMAD動画があると思います。ニコニコ動画のアイマスMAD動画はバンナムもほぼ公認であり、そこでの盛り上がりがアイドルマスターに良い影響を与えていたと思うのですが、この盛り上がりがアイドルマスターにコンテンツプロバイダー側が制御不可能な価値を与えてしまったのだと思います。
なんとなくこの話を読みながら、以下のid:kawangoさんのボカロ音楽のエントリーを思い出しました。
面倒くさくなってきたので重要なポイントを箇条書きする。
・ ボカロ音楽は作曲家と歌手がひもづかない。
・ (上記の理由で)ボカロ音楽は作曲家が主役である。アーティストのライブはコピーバンドであり、CDはカバーアルバムみたいなものになる。
・ コンテンツ消費速度の早いネットにおいて、2次創作がボカロ音楽の寿命を長くしている。
・ 名曲をひとつの歌い手が独占できないので、歌い手の寿命も長くなる(だろう)
・ ボカロ音楽の歌い手たちには商業音楽の世界への憧れはもはやない。
・ ボカロ音楽の世界ではセルフプロデュースできるアーティストしか残らない。
まぁ、簡単にいうとアイドルマスターというものは一種のボカロ音楽とおなじ属性を帯び始めており、コンテンツプロバイダーがその側面を見逃したというのが今回の事件の本質的な部分なのではないかと思います。
コンテンツはユーザがあってはじめて成り立つものなので、制作者がどのような意図を持っていようが、ユーザがとった解釈こそがそのコンテンツの総合的なイメージ、価値となるという側面が最近強くなっている気がします。これにより、コンテンツの変化の方向性を企業側が制御不能になりつつあり、ユーザが期待する変化にコンテンツプロバイダ、プラットフォームホルダが対応できなくなっています。アイドルマスター2の事件はプラットフォームホルダ、コンテンツプロバイダが今後も直面していくだろう問題のような気がしました。