FutureInsight.info

AI、ビッグデータ、ライフサイエンス、テクノロジービッグプレイヤーの動向、これからの働き方などの「未来」に注目して考察するブログです。

現時点での総括、または自由になるプロセスを自分で考えること

以下のエントリーからスタートした「みんなでライフスタイル」プロジェクト。

まとめサイトはこちら。

様々な方の協力もあり、以下のようなエントリーを公開することができました。さっき、アンケートの回答が届いたので、これからも順次公開していくつもりです。

多種多様な意見の中で、総括というのはなかなか難しいのですが、上のエントリーを読んでいただければ、いろいろ考える事、気づくことが多いと思います。ここでは、上記のエントリーを公開して、改めて感じたことを一旦まとめてみたいと思います。

日本の過剰サービス

多くの方のアンケートでまず出てきたのは、「日本の過剰サービス」についての言及です。
例えば牛丼屋に行っても、クリーンできちんとしたサービスを受けられることに海外に行くとそれがどれくらい異常なことがわかると思います。たとえば、きちんと清潔な飲める水やお茶がすぐにでてくるとかアメリカのファストフード店でも考えられないことですよね。
3103さんのアンケートで、これは日本で過剰な小売などの競争があるため欠品があったりすると、それがすぐに機会損失につながるからだ、という指摘がありました。たぶん、これは牛丼屋などにも言えることで、商圏が狭い中でみんなが過剰サービスを競っている状況なのですよね。昔、田舎に住んでいた頃、その地域に唯一の個人商店があって、そこでは欠品があってもだれも文句を言わずにあるものを買っていたのを思い出します。結局、その地域にコンビニが出店し、圧倒的なサプライチェーンとPOSシステムにより欠品なし、完璧な流通が「普通」のこととなり、その個人商店は潰れてしまいましたが、今はこの高度な流通を備えた店舗同士がしのぎを削っている状況なのだと思います。
ただ、この競争が流通のような部分だけではなく、牛丼屋やファストフードにまで波及してしまっているのが日本の異常な部分で、どうして自分たちが高級店にもファストフードにもクリーンで気の利いたサービスを求めているのか、という仕組み的な部分を考えると、よく言われることですが、たしかにみんなで不幸になっている側面もあり、難しいな、と思います。でも、サイゼリヤとかを考えると、そのかわり僕達はすごく安い金額で、きちんとしたご飯を食べる環境が整っており、これはみんな共犯者みたいな状態になっているのだと思います。
また、たまに日本の過剰サービスを海外に売りだしていけば良い、というような意見がありますが、これはとても難しいと考えています。というのも、日本の過剰サービスがカバーする小売や飲食という分野は、まず大前提としてその国のローカルな条件によって成り立つ非常に労働集約的な産業であるからです。これを切り出してパッケージ化するという作業は、東京ディズニーランドと同じ物を中国につくろうとするくらい無茶な意見です。ただ、ファッションでもグルメでもアニメでも、コトコトに煮詰めた他国のエッセンスをあたらしいMade in Japanとして評価されるということは各所でおきているので、それはもうパッケージではなく人材として海外に出ていくという形で良いのではないか、と思います。

コミュニティの濃密さ

また、多くの人から言及されたのが「○○してはいけない」という暗黙の圧力です。
ある人にとっては、これが日本にいるのを面倒にする大き理由だったりしますが、一度コミュニティに属すと、なかなか日本人同士ではないと得ることができない、空気まで読めるコミュニケーションというものが存在し、それが普通になってしまっているコミュニティ(特に年配の女性に多いように思いますが)にとっては、「自分とは違う他者が存在する」という当たり前のことが尊重できなくなっている状態ではあると思います。

この部分の解消というのは、高齢化がさらに進む日本では難しいでしょう。基本的にパラダイムシフト、コミュニケーションの変化というのは、個人の変化ではなく世代交代によりすすむものです。そして、日本ではこの世代交代の力が非常に弱くなっている。このような状況で、パラダイムシフトやコミュニケーションの変化を期待するのは時間の無駄です。
なので、この圧力に馴染めないと思う人はかなり生きづらい状態になっているのではなないかと思うのですが、個人的にはそういうことに無頓着な関係、むしろ個人がのびのびと活躍できることを尊重する環境が、皮肉にも正規雇用の減少とともに、整いつつある分野も増えてきていると思うので、そういう環境に飛び込んでしまうというのも海外に出るのと同じくらい有力な選択肢なのだと思います。
ただ、この飛び込み方がポイントで、ここで良い飛び込み方ができるかどうか、というのがポイントとなる。そのときに運や縁というものを自分にとってどういう風に位置づけていくか、というのが日本にいても、海外にいてもポイントになってくると思います。

移民は「何か」の特効薬になるか

たぶん、この二つのトピックを抜きに次の変化を考えることはできないと思うのが、「移民」と「英語」です。他の国では、「移民」の存在が社会における大きな影響力となり、コミュニケーション能力に依存しないオペレーションの確立、言語スキルに依存しない仕事の進め方、優秀なエンジニアが常にインドから流入する状況でのキャリアデザインなど、さまざまな変化における原動力となっています。僕は日本における移民は絶対に国民のコンセンサスでは進まないと考えています。それはこれからますます貧乏になる日本で、治安維持にかかるコストをこれ以上あげるのは難しいと思うからです。一方、日本では常にそうですが、企業が移民の最大のドライバーになると思います。すでに新卒でできる限り外国人を採用したいと言っているパナソニックなどの企業もありますが、この部分がさらに加速し、企業主導での外国人との交流がますます加速していくと思います。
今の円高を海外企業の買収に利用しない手はありませんから、いろんな企業の現場で買収した企業との交流がすすんでいると思います。最初のエントリーで「高齢化社会において変化がないことこそが民主主義的正義」と述べましたが、企業がそのような事情に縛られる必要はないので、まぁ、従来通りといえば従来通りですが、企業が率先して動き、それにあわせて様々な法制度が整備されるような流れを期待しています。

囚われないこと、これから自分でやってみること

さて、最後に3103さんのアンケートに書いた以下についてもう少し掘り下げてみたいと思います。

なので、僕は最近、ちょっと考えが回ってきて、過去に自分でこの国にとどまることを「撤退戦」と表現しましたが、退路をきちんと考えずに「撤退戦」をすることほど愚かなこともないな、と思うようになってきました。そのためのヒントとして、「みんなでライフスタイル」をはじめてみたのですが、たくさん有意義な意見をいただき本当にやってよかったと思ってます。

「みんなでライフスタイル」を行なってみて、感じたことは「海外に住んでみるというのは、自分が何に囚われているのか、何から自由になるのか」というプロセスを含んでいること、また多かれ少なかれ「個人で必要とされる、どこでも仕事が出来る」ようになるプロセスの一部なのだということでした。もちろん、実際に移住や海外赴任しようと考えると、教育や家族の問題で難しい人が多いとは思うのですが、それでもやってみる価値はあるな、ということでした。だれもがumitanukiみたいなどこでも必要とされる最高クラスのエンジニアでもないし、yukanonさんみたいな男前なモチベーションを持っているわけでもないですが、それでも十分トライしてみる価値がある、と。
個人的には、まずは1ヶ月ほどどこかで長い休みをとってトライアルでどこかに住んでみようと思います。そこで、「もうちょっとやってみよう」と感じるか、「いやもう十分だな」と感じるかわかりませんが、まずはその位からスタートして、その上でより自分を自由にするプロセスをすすめる、などの選択肢が見えてくるような気がします。僕にとっての退路というのは、一般的な「海外脱出」ではなく、何から自由になるべきかということに関するプロセスなのだと考えています。で、たぶん、それは個人にとって違うので、それを考える機会として、こういう多様な意見を思いっきり利用していただければ幸いです。

最後に

改めてアンケートに回答してくれたumitanuki、parchanさん、kskさん、geek_niigataさん、yokokawa244さん、3103さん、yukanonさんにお礼申し上げます。ありがとうございました。まだ、「みんなでライフスタイル」プロジェクトは続きますので、よろしくおねがいします。