チュニジアやエジプトのアラブの春、いわゆる「SNS革命」からおよそ一年、ソーシャルメディアと革命の関係を一回整理してみたいと思っていた。アメリカにとって、GoogleやFacebook、Twitterを活用して、独裁政権において革命を起こさせることの方が軍事行動よりもずっと安上がりだし、その方法論の研究もアメリカが進めているという指摘もある。
2011年に以下のようなエントリーを書いてみたが、今振り返ってみると認識をアップデートする必要がある箇所がいくつもある。
まず、独裁・軍事政権にとって、ソーシャルメディアから革命を誘導する方法論の対策としてインターネットをある程度規制する必要があることがわかってきた。たとえばイランが以下のように独自のネットシステムを稼働させる話があるが、これはスタクスネットに代表される戦略的コンピュータウィルスへの対抗措置ということに表向きはなっているが、GoogleやFacebook、Twitterのアクセスをコントロールする目的もあり、すでにGoogleへのアクセスも一部規制されたことがわかっている。
先日のTwitterに対する不正アクセスもこの文脈でみるとわかりやすい。つまりあれはアメリカの革命誘導剤としてのTwitterに対する一種の予行練習だったとおもわれるし、アメリカの主要メディアもそのような報道をしており、日経もその枠組で報道している。
米国ではニューヨーク・タイムズやウォール・ストリート・ジャーナルなど大手メディアへのサイバー攻撃が相次ぎ、両社は中国からの攻撃と主張している。ツイッターもブログでこうした動きを指摘する一方、自社がどこから攻撃を受けているかについては言及を避けている。
メディアに関しては一般のウイルス対策ソフトを導入していたが、効果が乏しかったことが伝えられている。一方、ツイッターは米国家安全保障局(NSA)出身者を採用したりセキュリティー関連企業を買収するなど、より高度な対策を講じてきた。こうした企業でさえも不正アクセスを許し、関係者に重い課題を突きつける格好になった。
この一連の動きは、革命や政権転覆のツールとしてのソーシャルメディアとそれを守ろうとするアメリカの国家的な戦略とみるとわかりやすいし、すでに海外のメディアの大半はそのような枠組みで一連の事件を報道している。
このような枠組みの中で僕がいつも気になるのはGithubの存在だ。Githubが過去に登場したどのようなオープンコラボレーションのツールよりも優れていることに疑問の余地はあまりない。そもそもGitというシステムの枠組み自体が、Linuxという過去にオープンコラボレーションで登場した世界最高水準の品質の成果物を支える思想的なバックボーンであり、もしかしたらこの概念自体がLinuxという超巨大システムの開発経験自体がなければこの世に存在しなかったかもしれないという点であまりにも奇跡的な産物である。SF的にいうとGitが存在しない並行世界というものは容易に想像がつく。なぜ、Githubがこのソーシャルメディア革命の枠組みの中で異色かというとあの5年もしたら、GitHubに参加できない国家というものが、その経済発展において大きなリスクになる可能性があるからだ。
たとえば、ワーク・シフトの中で登場する様々な働き方の中でGitHubと親和性の高い独立分散型の働き方が複数登場する。今後、さまざまなコラボレーションがひとつのWebサービスを通して行うようになり、そこで生成される成果物をどのように利用できるかが企業活動にとっておおきな意味を持つようになってくると、TwitterやFacebookは禁止するけどGithubは禁止したくない、という複雑な舵取りを行う必要がでてくる。
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あまりソーシャルメディアとしての捉え方をされてないが、例えばGithubに「革命の作法」自体がプロジェクトとして登場し、それが国家ごとにフォークされる場合にどのような対応が必要になるかなどを妄想してみると面白いと思う。