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スマートフォンは知的生産ツールとしての存在できるのか

POBoxなどの画期的な入力方法の開発などで著名な増井さんの講演をまとめたエントリーを読んで、スマートフォンは知的生産ツールとしての存在できるのかについて考えた。

スマホも同じで、今流行っているのはジョブズに騙されているだけです(笑)。

昔はPalmなどで知的生産をしていましたが、今のスマホはメモも書きづらいし、絵も自由に描けるとは言い難い。つまり、知的生産に向いていません。

多くのスマホユーザーがやっているのは、流れてきたものを見るだけ。パチンコと何ら変わらない時間潰しのツールになっています。知的活動にも使えないし、受動的な人たちにとってもやりたいことがすぐにできないという、非常に中途半端なものになってしまっている。

僕の認識では、スマートフォンに知的生産機能を要求している人というのは、非常にまれで、スマートフォンの現状の用途は、簡単に言うと発信する「自己顕示欲」と他人からのレスポンスである「承認欲求」をもっとも手軽に満たすことができるツールとして機能している。この欲求の満たし方をうまくデザインすることが重要であることは、以下の「はまる仕掛け」にさんざんかかられているので、興味ある人は読んでほしいのだが、簡単にいうとユーザーの報酬系をうまくデザインするか、というのが現状のスマートフォンのサービス全般の非常に重要な要素になっている。

この場合、いかに気軽に他のユーザーからのイイねやコメントがもらえるかということ、そこに存在するネットワークに自分がどのようにつながっているかを感じることが非常に重要で、例えばカメラのような気軽なアウトプットとセットでこのあたりの自分の発信する欲求を手軽に満たす仕組みが非常に効果的に機能する。

この文脈だと、例えばビデオがイマイチはやらないのは、単純にビデオを作る労力というのは、その構図や流れを考えるコストを考えると、「自己顕示欲」と「承認欲求」を埋める手段としては、まったく手軽ではないことに起因している。

もちろん、全ての人が知的生産ツールを求めているわけではなく、個人的には、以前も書いたけど、Google Keepがブログ記事を書く上で本当に素晴らしいツールになっていて、僕みたいにブログ書くのが趣味みたいな人なら、すごく良い道具である。

こういうちょっとしたアウトプットが趣味の人なら、特にモチベーションの設計を気にする必要もないのだが、アウトプット先を持っていない人に文章をかいたり、何かを考えたりすることに対して、どこに知的生産のツールの需要があるのかわからない。

と考えると、増井さんが気にしている課題というのはUIではなく、「自己顕示欲」と「承認欲求」を満たすサービスデザインとして「知的生産」をどのように位置づけるべきか、という課題になるのではないかと思う。すくなくともなにかしらの欲求なしで、「知的生産」を行うモチベーションがある人は少ない、というか、増井さんのような考える事自体に楽しみを見いだせる人を抜きにすれば、皆無と考えてもよいのではないかしら。

では、「知的生産」と「自己顕示欲」「承認欲求」が結びつくとどのようなデザインになるか。そのひとつはGitHubのような開発コミュニティのようなデザインになってくると想像される。では、あのような素晴らしいサービスが世の中でOSS以外の領域で、しかもスマートフォンネイティブに存在できるのか。このあたりがスマートフォンの新しい課題になってくるのではないか、と思った。