Google Glassのベータ版の販売が中止となり、Google Glassの開発がNestのTony Fadellの下に入ることが発表になった。以下の記事などがわかりやすい。
(1)GoogleはGlassについて多くのことを学び、(2)Google Xを卒業し、(3)Glass新バージョンを開発中で完成次第リリースし、(4)Explorer Edition(ベータ版製品)の販売を中止する。
このアクションに対するテクノロジー系メディアの評価としては概ね以下の様なものかと思う。
- 特にプライバシーの問題で、メガネフレーム型デバイスを一般に普及させることをGoogleがさとった。これが、「多くのことを学んだ」ということである。
- ただし、メガネ装着型デバイス・産業用デバイスとしてのGlass自体の価値を認めることができた。よって「新バージョンの開発」は行う。
- この「新パージョン」これまでの常に装着することを前提とする汎用デバイスとしてのGoogle Glassから、例えば医療やスポーツなどのある目的に特化した必要なときに装着する目的特化型のデバイスになるだろう
最後の次のモデルが目的特化型になるというのは、たぶんあたっているのではないかと思う。手にものを持たないですむというのは、ある局面では非常に役立つが、通常のユースケースではスマートフォンの方がデバイスサイズという点で便利なことが多い。一方、Google Glassの最初の目的からはだいぶ違うところに来ている。
この件に関しては、11月くらいにすでにtechcrunchが観測記事を出していて、たぶんだいぶ前からこの路線になるだろうというのは、噂があったのかなとおもう。
私が思うに、普通の人ならGoogleが何百万ドルも開発に費やすずっと前に、それをGoogleに言えただろうし、当時私が書いたように、単にGlassが大衆向け端末になる資格のない製品だったというだけだ。私の予言は、Glassがこの時代のSegwayになることだった。大変革をもたらすと喧伝されながら、倉庫で働く人とショッピングモールを巡回する警察官しか使わかった乗り物だ。実際、Glassはこの監視の時代と完璧なペアをなすかもしれない。
失敗した製品(現時点では)に対して、失敗の理由を見つけることは簡単だけど、成功した製品が成功した理由を探すと、それは運とタイミングだったということが多い。特にGoogle Glassの場合、まさに今後プライバシー問題を社会が真剣に考える局面になるだろうというところでの投入だったので、運もタイミングもなかった。 まさにプライバシーというとてつもない怨念をひとりで背負ってしまった感がある。
一方、Google Glassで見えてきたプライバシーのポイントはまとめておく価値があるように思う。それは、「視線」というものが人間にとってものすごく気になるものであること。僕もテクノロジー好きの人がたまにGoogle Glassを付けており、なんどか会話したことがあるが、自分の目線の先にカメラが存在することに対して、単純にすごく気になった。通常、監視カメラというのは目に触れないところにひっそりと存在するものだが、Google Glassは顔を合わせると目線の先にカメラがあるので、プロダクトの性質上、否応なしにカメラの存在を意識してしまう。
この時、感じたことは人間は「自分のプライバシー」を自分の意思で提供する、または知らないうちにひっそりと利用されることに関してはまだ許容できるケースもあるが、常にその存在を意識しないといけない局面になると、かなり疲れるということだ。このプライバシーとデバイスの関係性は、ウェラブルコンピュータという文脈で今後ますます重要トピックになってくるのは間違いないし、どちらかというとこの部分の既成概念が変わるのがターニングポイントになりそうな気がする。
そんなわけで、とても先進的だし、実験的だし、おそらく違う形であれば、成功したかもしれないが、Google Glassはいったん終了となった。次のモデルがいつごろ出てくるかわからないが、もしTony FadellがGoを出すモデルになるのだとしら、かなりすごいものになりそうなので、結構楽しみにしている。